実感

大学時代の友人が語る「仕事」がぜんぜんわからなくなってしまった。スタートアップをいくつか渡り歩いたKはCXOなどという肩書だし、大きな会社で心折れずに勤め続けているOは担当課長になったらしい。課長となにが違うんだろうか。

経験していないことについても理解したいと思うが、生来ぼんやりしているせいか圧倒的に実感が伴わない。幼児がクレヨンで書いたような、曖昧な輪郭のイメージしか持てないのだ。社会の中で経験を積んだのちに、求められる役割が変わっていく、というのはいったいどんな気持ちなのだろう。

教師になって15年と半年が経った。小学校で10年、中学校で6年目。着任1年目から担任を持って、生徒の人生に小さくない影響を与えてしまう役割を果たしてきた。で、いまも変わらず果たしている。最初に与えられた役割は大きく重く、それ故に、なんと15年目でも1年目とまったく変わらない。

そういうものだと見聞きはしていたが、ここまで役割が変わらないとは思わなかった。プロフェッショナルを目指すのだ、と言えば聞こえはいいが、慣れたやり方で小さな箱庭の規律を守ることを最優先と割り切ってしまえば、5年目以降はもう惰性で物事が進んでしまうと知った。クラスの秩序を優先した物言いをして、小さな世界はそれを受け入れてしまう。それ以外の実感を伴った正確な言葉を、私は持たない。

「良く生きるって何だろうね」と、付き合って6カ月になるNに聞いてみる。あんなに小説ばかり読んでいるのにそんな迂闊な質問するの、とNは言う。うん、あんまりわからない。だったら自分が良く生きるしかないんじゃないの、それが無理なら読んでないで自分で小説書けば?何もせずにわからないって平気で言うとか、かなりやばいね。ああ、そういうものなのかな、まあそいうものなのか。

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