誰かと時間を共にすることについて。 『体の贈り物』を読む。

18で実家を出るまで祖父母とも一緒に暮らしていた。夕食後、たびたび肩を揉んでいた。実際はへたくそだったと思う。でも祖母は、「うまいねえ」といつも褒めてくれて、ぼくは気を良くして毎晩「今日もやるかい?」と声をかけていた。

ぼくが経済的に独立してからはそんな習慣もなくなってしまったが、帰省の折に「冷えて辛い」と言う祖母の足をさすることがあった。弛緩した肉が皺だらけの柔らかな皮に包まれることで形を保っているふくらはぎのその冷たさや、さするそばから擦れて剥がれ落ちる乾燥した皮膚の軽さを思い出す。祖父も、祖母も、もう2人とも亡くなってしまった。

レベッカ・ブラウン 著、柴田元幸 訳『体の贈り物』を読んだ。重い病に侵され生活のサポートを必要としているリック、エド、コニー、カーロスといった個人と、ホームケア・ワーカーとしてその手助けをする主人公の物語。

病があり、体の機能が失われ、その先には死が見えている。そういう状況に置かれると自身の振る舞いと他者への慈しみについて余計に意識的になるという実感を描きながらも、「介護」「愛」「死」といった題材が帯びる「ありきたりな物語性」を冷静に排除するドライな文体が、この小説は固有のシーンにのみ生じる物語ではないということを示しているみたいだった。

あなたがいま思い浮かべる誰かに、今ならば、あなたは何かを贈り物として手渡すことが出来るかもしれない。そう思えるのは、希望に他ならないなと思いました。

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