「常識」が、誰かにとっては残酷なものであること。村田沙耶香『殺人出産』を読んだ。
「正しさ」を言葉で刺し殺すような小説だった。
村田沙耶香の短編集『殺人出産』を読んだ。
表題作『殺人出産』。セックスが純粋に快楽のためのものになり、人口が減っていく中で、男も女も「産み人」となって10人出産出来たら代わりに好きな人を1人殺せる社会が舞台。「産み人」に殺される「死に人」は尊い犠牲であり、「産み人」から「死に人」への殺意は生命の根源でもありとても美しいものであるとされている。
彼女の作品を読むのはまだこれで三作目。ここまでの印象だけで言えば、彼女は小説で「常識」を解体したいと考えているのではないか。
「愛した人と結ばれて子供を産むのが女の幸せ」「殺人を犯してはいけない」「社会のために誰かが犠牲になることは非人道的だ」。『殺人出産』は、そんな「常識」を裏返しにして見せる。
常識的には残酷であると考えられていることが避けがたく含む美しさを、村田沙耶香は文章の力でことさら美しく描いて見せる。ぼくたちが生きるこの世界で、当たり前として語られている「常識」が、誰かにとっては残酷なものであること。そのことを思い出させようとするかのように。
“あなたが信じる世界を信じたいなら、あなたが信じない世界を信じている人間を許すしかないわ。”「殺人出産」
「正しさ」の息の根を止めるには、凶器である言葉はより鋭利であるほうがいい。「正しさ」が死んだ後、村田沙耶香はその鋭利な言葉で何を描き出すのだろう。ぼくは、そこにとても興味がある。
初めて読んで好きだなと思った短編、「素敵な素材」(『GRANTA JAPAN with 早稲田文学』第3号掲載)
好きな終わり方だった「しろいろの街の、その骨の体温の」(朝日文庫)