キャンプはダメ

この夏、キャンプを始めた。主体的にやってみると、子どものころ連れていかれたものとは随分印象が違う。キャンプとは因数分解してしまえば「屋外で昼間から酒を飲み、炭火を活かしつつ思い思いに延々とメシを食う」「日が暮れ眠くなったら風呂にも入らず、その辺で寝る」という「だらだらと生きる」ことに他ならない。言わばダメ人間がダメを謳歌しているだけなのだが、キャンプが持つ「自然と向き合っているっぽい」というニュアンスを加味することで、「逆に物事を真剣に捉えていそう」「世界と真摯に対峙している風な感じ」等の印象に変わる。つまりキャンプとは、ダメが許容されるある種のポジションを合理的に生み出す機構であるのだ。やれ部長は日本酒が充実していないと懇親の場にはなかなかご満足されないですからね、とか、その件について明文的にご調整頂いておりましたか?確かに聞いてはいましたが文章化されてませんよね、当課と致しましては協力できかねる案件です。みたいなポジショントークは、湖面のきらめきや朝を知らせる鳥たちの声、焚き火からこぼれ落ち揺蕩う火の粉や、木々の隙間から降り注ぐ日差しの中には存在しない。あるいは、蕎麦打ちのように「完成した蕎麦の美味い/マズい」といったジャッジされるべき結果も伴わない。コミットしたくない。責任を取りたくない。自分のことだけしていたい。これらの欲望にキャンプは応えてくれるのだ。このことに気付いてしまったのでぼくはもうダメです。みんな、ここはぼくにまかせて先に行くんだ。ここはもう、ダメだ……。

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